プラーナ 

生きとし生けるものには全て生命のエネルギーが存在します。
この目に見えないエネルギーは古来より東洋を中心にして古くから扱われていました。
中医における気(鍼灸や漢方など)や、インド哲学とも密接な関係のあると伝えられるアーユルヴェーダ。
そしてその流れを汲むタイのSENなども本来的にエネルギーを扱っているといえます。
ただ、これらはまったく同じものではありません。
この生命を流れるエネルギーには様々な階層・次元が存在します。
そして、プラーナもそのひとつです。
プラーナとは主に古インドのヨーガや日本の古神道によって説かれる生命エネルギーであり、
一般的に云われる気やレイキなどとは全く次元の異なるものです。

プラーナは人の体だけではなく山や川、滝や草木、その他鉱物など、あらゆる森羅万象に存在し、
私たちの心身に大きな影響を与えています。

そしてプラーナの流れには様々な側面があります。
水の流れに強弱があるように、プラーナにもその流れの強弱があります。
そして水の清濁と同様に、プラーナにも質、品格があります。
べっとりしたプラーナもあれば、薄く弱々しいものがあったり、格式高く清々しいプラーナもあります。

プラーナは“生命”である細胞ひとつひとつの働きに影響を与えます。
流れるプラーナが強く清浄で淀みないものであれば、免疫機構が正常化し心身ともに健康でいることができます。
逆にプラーナの流れに滞りがあったり詰まりが生じるとその流れに澱みや詰まりが生じます。
澱んだ部分の生命エネルギーは弱体化し、自律神経や内分泌系における恒常性が低下してしまいます。
つまり、正常な状態を維持しようとする力が弱まるのです。
それが一時的なものであれば、プラーナの流れの改善と共に漸次良好な状態に戻って行きますが、
長期に渡って淀みや詰まりが生じると慢性的な症状となり病気になってしまいます。

「鬱というのは心が風邪を引いているんだ。」

そんな言葉があります。
他覚的に画像や数値で所見を見ることができる(他人が理解できる)いわゆる病名のつく器質的な症状も、そうでない肉体的な苦しみも他人には理解し難い感情面での苦しみも、プラーナの前には共に等しいサインなのです。

その意味で、肉体的な問題と感情的な問題を考えるときに、一方を顧みないのは得策ではありません。

私たちは肉体的な症状にばかり敏感になってしまうあまり、感情やこころの症状を見逃してしまいがちです。
その意味でこのHPに書いたほとんどの内容は肉体面、感情面そのどちらにも共通したものだとご理解ください。

もし、あなたやあなたの大切な人が何かに苦しみを感じているのならば、それは肉体であれ、感情であれ・・・その痛みや苦しみはそのサインを確かに受け取ることができている証拠なのかもしれません。


人間には本来の状態で無い場合や自身の中に異物を有している場合にそれを感知する能力を持っています。
常に人間は「中庸」の状態に引き戻そうとする力が備わっています。
一方に偏ってしまって中庸=ありのままの自然な状態でなくなったときに、それを振り子のように引き戻そうとするのです。
ましてや、ありのままの自然な状態ではありえないような“異物”を内包している場合にも振り子の揺れは大きくなります。
つまり、すべての症状とは「本来の自分ではない」「異物を感じ取っている」ことのあらわれなのです。

プラーナは全ての細胞に作用するエネルギーです。肉体的な痛みも心圧迫感や感情の乱れなどの心理的な苦しみについてもプラーナの作用という観点から見ると"自覚できる症状"という点ではまったく同じことなのです。
そして、私たちはプラーナを介して「自分が本来的の状態でない」ことをを感じることがあります。
時に人はそれを病のように扱ってしまったり、「誰にもわかってもらえない」とあきらめてしまったりするのです。





プラーナと症状
  

プラーナの流れや働きは人間の身体と密接な関係があります。
また鍼灸などにおける経絡やツボなどとは異なり、
人によって、また同じ人であってもその流れは刻々と変化します。

そのため術者は
プラーナの流れを読み取り、途切れた部分を見極めることができなければなりません。
専門的な指導を受けた施術者は、その途切れた部分を的確に感知し、指先をあてる事でプラーナを修正します。
これによりクライアントのプラーナの流れが改善し本来あるべき流れが蘇り症状は和らぎます。

しかし、これも一種の対処療法に過ぎません。
なぜなら、術者により一時的にプラーナの流れが改善したとしても根本的な問題は解決していないからです。
病気や症状とは何か良くない原因があるからこそ生まれる結果に過ぎません。
プラーナの乱れやその低下によって症状が発生しているのであれば、
その症状(苦しみ)は本来あるべき正しい状態に戻し、平衡状態を取り戻そうとする生命の働きを、肉体や感情を通じて敏感に察知することができている証拠なのです。


甘いモノばかり食べて歯を磨かない子どもが虫歯になったとします。
ただ虫歯を抜けばしばらく痛みは収まるでしょう。
でも甘いものを控え、歯を磨くことの大切さを学ばないまま同じ事を繰り返していてはどうなるでしょうか?
その子はまた違う虫歯に泣くことになるのは間違いありません。
何も学ばず歯を抜く事(痛みを取る事)は本当の治療ではないばかりか、その子の学びの機会さえ奪ってしまうことになってしまいます。
そうなってしまっては、その子が
痛みに苦しんだ時間が全て無駄になってしまいます。
これはすべてのセラピストが厳に慎まなければならないことです。


プラーナの流れを修正することで、一時的に痛みや苦しみから逃れることができたとしても全く意味がありません。
そればかりか、プラーナの乱れを招いた原因を知ることができなければ、かえって症状を悪化させてしまうこともあります。
“何か”を教えようとしていたせっかくの痛みや苦しみから何も学ぶことなく症状を力ずくで押さえ込むのは不幸なことでもあるのです。

また、術者自身が高いレベルのプラーナを有していないとクライアントのプラーナを傷つけてしまうことにさえなりかねません。
そればかりか、あってあはならない事ですが・・・施術者のプラーナがクライアントより低俗なものだった場合、クライアントが施術者のレベルまで引き落とされるということもあります。
プラーナはすべての人が持っているものです。
プラーナとはまったく関係の無い癒しやセラピー、民間療法を施されて調子を崩してしまうのは、時に施術者(セラピスト)のプラーナのレベルの相対的な低さが原因になっていることもあります。

このようにただ症状を抑えるだけの施術には意味が無いばかりか、せっかく苦しんだ経験を無駄にしてしまうこともあります。。
その意味で
高度な見極めと熟練した技術や格式が術者には求められます。
痛みを除くことが本人の気付きに繋がり、本当に見つめなければいけない原因、つまりプラーナがどのような原因で乱れているのかを知り、それを正すことが本来の目的なのです。
その結果として、永続的な健康を手に入れるということが本来の姿です。


一時的にプラーナが修正されたとしても、それは所詮他人に手を入れられたことに過ぎないのです。


プラーナを通じて病や苦しみが教えてくれる癒すべき本当の“原因”を知り、プラーナを正し、より高く清浄なものにすることこそプラーナ療法の真髄なのです。










プラーナとはvol.2〜「不立文字」に続く




               



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