霊性を言葉で表現することは非常に困難です。
言葉による理解には限界と「わかったつもりになる」という錯覚の危険があります。
また逆に「わかりたくない」というこころの抵抗が生まれる場合もあります。
公開できる範囲ではありますが、できる限り理解しやすいように言葉を紡いでいきたいと思います。
どうかその事を念頭に読み進めていただくようお願いいたします。
  



生きる 

私たちはこの世に生まれ、そして誰もが必ず死んでいきます。

「なんのために生きるのか?」という問いになど意味が無いという人もいるかもしれません。

でも、「なんのために生きるのか」という問いこそが人を人たらしめているのです。
人だけが「何のために生きるのか」を深慮し、自分で己の人生を歩いていくことができるからです。

人の一生とは端的に言ってしまえば、より調和した、より高い生き方を求める努力の旅路そのものです。

私たちは皆、地上に生まれたった無力な赤ん坊時代を経て、身体的にも知的にも成長して生きます。
そのうちに誰しもが様々な病苦や矛盾、挫折や艱難辛苦に翻弄されます。

それらの悩みを通じて、より正しい道を求めたいと人生の旅路を歩き始めます。

正しく生きたい。

それは私たちもまた、常に進化・成長しようとする大自然の営みの一部であるからこそ持ちえる根本的な願いなのです。
誰かに示してもらった幸福の条件を追い求めることは楽なことかもしれません。
しかし、それは他人の物差しで決められた他人の人生をただ歩かされることに等しいのです。
自分で自分の道を歩きたいと気がつきそれを求める人の前に広がる道こそが霊性の道なのです。

霊性の道とはつまり人生を生きるということです。

先はあまりにも長く自分がどこにいるのかもわからなくなるときが人生には往々にしてあります。
しかし、私たちの足元に霊性の道があるならば、一歩一歩その歩みを進めていけばいいだけです。
苦しみの多くは霊性の道への誘いでありチャンスなのです。

ここでは“霊性”についてご紹介したいと思います。




幸福論 


私が大学生のころを振り返ってみても、携帯電話なんてものはお目にかかったことがありませんでした。
友達との約束など、遅れそうになったらそりゃもう大変でした。
好きな女の子の家に電話するにも家族が出ないようにあらかじめ時間を決めておいたり、今では考えられないような不便さがありました。
さらにメールやインターネットによって時間の効率化が進み、世界は狭くなりました。
でも、本当に人と人の距離は縮まったのでしょうか?私たちの生活は本当に豊かになったのでしょうか?
人は本当に幸せになったのでしょうか?

「幸せになるための・・・」

「開運するための・・・」
世間にはそんな言葉があふれかえっています。                   
それだけ満たされていない人が多いということでしょう。                 


便利な世の中になったはずなのに・・・世の中の技術は進歩しているはずなのに・・・
どうして自殺者数は減ることがなく、人は争い奪い続けるのでしょうか。
私たちはなぜ幸せを追い求め、そして傷つくのでしょうか。
どうやら、幸せとは何なのかということさえ私たちは見失っているのかもしれません。

それはなぜでしょう?

学校や教育で学ぶことのできる知識だけが子どもを大人へと成長させるのではありません。
大人になるために必要な経験は生まれてから毎日続いています。
今日だって学びの日だったはずなのです。なのに、私たちは知識や年齢を大人の条件だと勘違いしてしまいました。
生きるためのスキル〜知識やテクニック〜を身につけることが大人になることなんだと錯覚してしまっているのかもしれません。
そして、いつからか「自分は大人なんだ」と、つまり「自分は完成したんだ」と勘違いしてしまってはいませんか?。
そう思った日から心の成長は止まります。
成長が止まるから、目の前の苦しみに絶望してしまうのです。

身体は放っておいても大人になりますが、心はそうはいきません。
大人になること。それはどこまでも成長し、進化するということです。


「なぜ援助交際がいけないのか?」

「なぜ生きていかなければならないのか?」


こんな子ども達の問いにも答えられない私たちの世の中は、いつまでも未だ未熟な世の中なのかもしれません。



水面と月
  

誰だって誰かを傷つけたいほど憎んだ経験もあると思います。
でも、傷つけない。傷つけられないのです。
警察に捕まるからという人もいるでしょう。それはいけないことだからという人もいるでしょう。
傷つけたい相手にも家族があったり事情があると思い巡らすからという人もいるでしょう。でも本当はそれだけが理由ではありません。
それは、私たちが人間だからです。

そもそも“憎しみ”を作りさえしなければ傷つけたいとは思わないはずなのです。
私たちは最初から「憎しみ」や「怒り」などを持っているのではないのです。
理性や道徳で悪感情を抑えることも大切なことです。
しかしそもそも憎しみや妬みといった感情を“抑える”のではなく“作らない”心を養えばいいのです。


私たちが子どもの時、お菓子を買ってもらって泣き喚いたような経験は誰だってあるはずです。
でも、この年になって、お菓子を買ってもらえないからといって床に転がって駄々をこねる人はいないはずです。
床に転がって駄々をこねたいけど、恥ずかしいからそうしないのですか?
そんなことはありませんよね。
あんなに欲しかったお菓子が、今はそんなに欲しくないからだとしたら・・・

これは「幼い子どもの私」から心が成長している証です。

成長を止めようとしなければ心はどこまでも成長できます。
ただ、「もう成長する必要がない」と思い込んでいるだけなのです。
人の心はいつまでも成長できる生き物なのです。


心はお月さまを映す、池の水面のようなものです。


風が吹いたらさざ波がたち、水面にゆれるお月さまはゆらいでみえるでしょう。
誰かが池に小石を投げたなら、水面のお月さまはゆがんでみえます。
「月がゆがんでしまった!」と恐れや悲しみを抱いてしまいます。

でも、風が吹いても小石を投げられてもお月さまの姿が変わることなどありません。
ただ、小石が投げられ、そよ風が吹いただけなのです。
そこには何の問題も無いのです。
「水面に浮かぶお月さま」を「月」そのものだと信じこんでしまっていることにこそ問題の本質があります。。


水面という“心”がどれだけ乱れようとも、月という“魂”は美しいままなのです。          


なんの意味もない小石やそよ風に翻弄されることなく、しっかりと空に輝く月を見定めることにこそ
人としての成長の本質があるのです。





 





霊性とは 
  

心とはなんでしょう?

「法は道徳の最小」という言葉があります。

罰を伴う法によって制限しなければならない最低限の道徳こそ法律であるという意味です。
人は誰かに強制されたり制限されなければ正しく生きることができないのでしょうか?
いいえ。そんなことはありません。
正しく生きることができなくなる原因には怒りや恐れなどの乱れた感情があります。

これらの乱れた感情は私たちが後から作り出している異物に過ぎません。

ただ、私たちは無知ゆえにそれを知らないのです。
怒りや恐れ、幸せに繋がる(と信じきっている)欲を自分自身だと勘違いしているのです。

どれだけ水が濁ろうとも、水面が揺れようとも、月そのもの輝きは変わることがありません。
月そのものである魂。
魂の輝きを映し出す水面の動きのさまを、つまり、空に輝く月を美しいままに見定めることができる力を「霊性」と呼びます。


些細なことで切れたり自暴自棄になる人のように、霊性が乱れたままでは心は成長することができません。
子どもの心で大人を演じ続けなければならないのです。
演じている自分との間に生まれる乖離は必ずゆがみを生みます。
そのゆがみはプラーナの異常となりやがては心身の不調となってあらわれます。
時に精神的な不調だけでなく、免疫力の低下や原因のわからない生理的な症状となってあらわれます。
なぜなら、その乖離こそ「私」にとっての“異物”だからなのです。


子ども時代のトラウマや抑圧など乖離を生み出す要因は無数にあります。
それだけでなく、出生に関する意識や前世の因縁、先祖の意識など本人の記憶しない範囲にまで影響を与える要因は存在します。

これらの要因は雲が月を隠すように、魂の輝きは覆い隠されます。
そうなると、私たちはいつまでも池の水面を睨みながら投げ込まれる小石やそよ風に一喜一憂してしまうのです。

悪い影響を与える要因がある限り本来の輝きを見せることがかなわずに霊性を成長させることができません。
霊性が成長しないままだと真の安らぎを得ることなく、人生の意味を虚しいものに求めてしまうのです。

連綿と続く生命のキャンバスに塗りこんでしまった、本来の自分ではないものをいったんきれいに洗い流す必要があるのです。

真っ白なキャンバスを取り戻すことなく、人生をきれいに描くことはできません。



   ・本当の意味で病気を治し、健やかに生きたいのなら

   ・ストレスのない、本当の安らぎを得たいのなら

   ・愛されることの意味、愛することの意味について苦しんでいるのなら

   ・生きる意味、真に正しいこと間違っていることを知りたいのなら

   ・生きることがつらいのなら

   ・死ぬことが怖く、常に死の恐怖を感じているのなら

   ・物質的なものではない、何にも依存することのない真の幸せの意味を見出したいのなら

   ・良き父、良き母でいたい。先祖の因縁を断ちたいと願うのなら

   ・病気をただ治すのではなく、その人全体を診たいと思うのなら

   ・ヒーラーや治療家さんで、真に正しく生きたい、治すこと・癒すことの意味を知りたいと願うなら
    また、患者さんの悪い想念から体調を崩したりする人で、自分を守りたいと思うのなら



 このような方は霊性の向上を検討されることをお勧めいたします。 どうぞ続き読み進めてください。







霊性とはvol.2〜「混沌を生きる」に続く




               


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