ブッディーランク 

10万から100万までも霊格です。
メンタル以前は理性や智慧で感情や欲望を制御しています。
このブッディーランクまで到達すると、制御すべき欲や悪感情といった煩悩を捨てた状態です。
このランクにいたるには、しかるべき師のもとで格式ある行を積み重ねる必要があります。

先にも書いたとおり、エーテルが誘惑する様々な能力があります。

仏教でこれらの能力を以下のように説明しています。

1、天眼通(てんげんづう)・・・透視・霊視
2、天耳通(てんにづう) ・・・霊聴・霊言
3、他心通(たしんづう) ・・・読心術
4、宿命通(しゅくめいづう)・・・過去現在未来を見通す能力・予知能力
5、神足通(しんそくづう)・・・幽体離脱・テレポーテーション
6、漏尽通(ろじんづう)・・・煩悩を滅し尽くし、仏の悟りを得て平常心のまま真理を知ること。

他人の心を読み取ったり、霊視や予知など魅力的に見えるものもあるかもしれません。
これらを求めて修行をはじめてしまうと、いとも簡単に魔境に落ちてしまいます。
言ってみれば、これらの能力はエーテルでも可能な、誰でも簡単に得ることのできる外道の術なのです。
「まじで!?」と思えるほど常識を超えた能力ですが、目の前でそんなものを見せられても驚くことも感動することは何もないのです。
道を外れたものだけが得る能力など取るに足らないものなのです。

しかし、最後の漏尽通だけは違います。
低俗なエーテルには得ることのできない能力です。
日常の苦しみから小さな悟りを積み重ね、やがて大きな悟りを得た者だけが授けられる神仏と通じることのできる能力です。
また、通じる神仏は格式ある高いレベルの神仏でなければなりません。
時にエーテルやアストラルもどきの神仏が「教えてやろう」と成りすまして近寄ってきます。
それを見極める力もブッディーランクに達していないと得ることができないのです。

神仏は私たちの成長を願っておられます。
そのために必要な苦しみを与えてくださっているのです。

そこには私たちへの大きな愛があります。嫌だ嫌だと逃げていても仕方ないのです。
逃げた先にはまた新しい欲や苦しみが待っているだけなのです。
「早く気が付いて楽になって欲しい」と一番願っておられるのは、恐らく私たちを愛される神仏に他なりません。

神仏と通じるブッディーランクの者は、時に求めるものの病を鎮め、痛みを癒し、生きる指針を与えます。
これらはすべて自分の意思ではありません。
ましてや「よく思われたい」などという我欲からではありません。
求める者の霊性向上の道に必要な癒し時に治療、そして生きる指針を与えるのです。
すべては神様の御心のままになのです。

我欲を滅し、霊性向上の暁には正しいものを正しく見ることができます。
何が正しいのかがわかるようになれば迷うことはありません。迷いがなければ怒りも恐怖もないのです。
そこには条件付きではない幸せがあります。
この世の中に悪いことなどひとつもないのです。
つまり、素晴らしいこの世に生きる至福をかみ締めながら生きることができるのです。
これは言葉では表現し得ない世界です。

私たちは無知故に迷い、苦しみ、また欲しがるのです。

霊性を高めることで、誰もがこの世という至福のなかで生きることができます。
そして、迷い苦しむ人々に人々に霊性向上の手を差し伸べようとする神仏の手となり足となることができるのです。
私たちも生きている限り神様の愛に近づくことができるはずなのです。
私たちは愛されるべき存在であると同時に、愛することのできる存在でもあるはずなのです。
それが霊性向上の先にある光です。

そこに本当の愛があり、至福があり、私たちの生きる意味、この世の真理があるのです。





アートマーランク・ブラフマーランク

100万から1000万未満の霊格がアートマーランク。
1000万以上の霊格がブラフマーランクです。

肉体を持ったままこのレベルには達することができません。
また、言葉をもってこのレベルを説明することは不可能です。

これらのランクにおいて郷里の奈良で代表的なものをいくつか挙げるとすれば
大神神社、石上神宮、春日大社などがあげられます。





霊性の向上を目指すにあたって

霊性とプラーナ。
ここまできて、やっとプラーナがでてきます。
生命のエネルギーであるプラーナは、この霊性と密接な、切り離せない関係があります。


霊性が高まってくる=つまり、魂を覆い隠すものが無くなり本来の輝きを取り戻すとき、プラーナもまたその光と流れを取り戻します。
霊性が低下していると、プラーナもまた流れを滞らせてしまい、澱み濁ってしまいます。

このようにプラーナ自体が持つ“品格”は霊性の強い影響を受けます。
高い霊性にあるからこそ、品格あるプラーナが流れるというわけです。


プラーナの源泉たる霊性を向上させることなくして、品格ある清らかなプラーナを手に入れる事などできないのです。
正確な表現ではないかもしれませんが、霊性こそプラーナの源泉であり、プラーナこそ霊性の発露なのです。
つまり、一時的にプラーナを修正することは(必要なこともありますが)あくまで緊急避難的な対処療法なものなのです。
プラーナの異常が教えようとしている「霊性を高めたい」という内なる声を真摯に聞くことがあなたにはできますか?。



  昨今クンダリニーの上昇やチャクラの覚醒・・・そんな言葉を良く見かけるようになりました。
  いわゆる、スピリチュアルブームというやつです。
  しかし、自覚していようがいまいが、その背後には必ずといっていいほど"宗教"が見え隠れします。
  本来クンダリニーやチャクラは人によって管理されるものではありません。
  その人の努力による霊性の向上に伴って、人の力を超えた力によって自然に上昇し開いていくものです。
  つまり人が介入しようとするならば、高い霊性を有していないと触れてはいけない部分であり
  本来人が手を加えて良い部分ではありませんし、大変な驕りでもあるのです。
  ましてや、お気楽な動機でなどもってのほかであり、長い目で見たときに大きな危険があります。

  クンダリニーやチャクラに手を加えられて、かえって酷い状態に陥る人がたくさんおられます。
  眼に見えないものに価値を見出すのは素晴らしいことですが、安易にかかわることは注意してください。
  眼に見えないからこそ真贋を見極めることが難しいのです。
  自ら望んで地獄に行進する人もたくさんいらっしゃいます。
  それもその人の学びの為に必要なことなのでしょうが本当に切ないことです。
  価値と真実を見出す正しい眼を養っていただきたいと思います。




プラーナの異常にまつわる様々な症状を、“プラーナを高めること”でご説明しました。
では、なぜプラーナの異常が生まれるのでしょうか?
どうしてこんなに苦しまなければならないのでしょうか?
それをここで全てご説明することはできません。文章による誤解があまりにも大きいのです

でも、これだけは伝えたいのです。
そこには様々な理由があります。そこには意味があるのです。
誰が悪いということでは決してありません。
それは何らかの原因で低下している霊性を引き上げたいという魂の願いのあらわれなのかもしれません。
言い換えれば、肉体的なものであれ感情的なものであれ苦しみを自覚できている人というのは
「このレベルでとどまっているべきではない」と気がつき始めている人だということになります。


自らを高めたい。より成長したい。これは人が生まれながらにして持っている本能といってもいいでしょう。
その意味では症状に苦しまれる方は、より高いレベルの成長を(無意識で)求めている方なのかもしれません。
苦しむべき症状があるということは、ある意味で大きな示唆であり、贈り物です。
それは心の奥底の声を正しく受け取れている証拠でもあります。


症状はきっかけに過ぎません。
それを入り口にして、ほとんどの人が一生たどり着けないような生きる意味を知ることにつながる場合もあるのです。
悲観することなどなにもありません。苦しみが永劫に続くなどという事は決してありません。

 
病院での検査を受けても異常が見当たらない。
誰にも理解してもらえないような苦しみや絶望。
それは地獄の苦しみにも等しいと思います。

それを原因から解決しようとするならば、プラーナを整え、その乱れを正すことが必要です。
そのためには霊性を磨き、高めることが不可欠なのです。
逆に言うと症状とは、“今のままでは良くない”・“今の状態は自分らしくない”という心の奥底からのメッセージなのかもしれません。

矛盾するようですが、症状を取ることすら本来の目的ではないのです。

いずれにせよ、長年留まってきた場所から抜け出すのは並大抵のことではありません。
プラーナを整え、品格あるものにするには、つまり・・・霊性を固定化している殻を打ち破るには地道な努力と強い意志、そして覚悟が必要です。

しかし、そこには"生きる意味"、"生きる意義"があり『生きる喜び』があるのです。



自らを良くする者は、自らを於いて他にないのです。



じゃ、どうしたらいいの?と思われる方もいらっしゃるでしょう。

霊性の向上とプラーナを学ぼうとするならば、何度も書いたように「師」の存在が不可欠です。
正しい道を知りたいと願われているのに間違った先生についてしまう事で大変な遠回りをすることがあります。
下手をするとかえって真理から離れていってしまうことになります。これは本当に悲劇です。
そうならない為にも、次に霊性の向上を目指す際の師を選ぶ重要性と注意点を次に挙げたいと思います。
参考にしてくだされば幸いです。






霊性への道vol.4〜「同行二人」に続く