宗教と信仰 

霊性の成長とともに神仏に対する意識も変わってきます。
その人が信じる宗派や縁によって変わってきますが、メンタルランクの半ばあたりから神仏やその眷属さんからのご指導やお知らせが入るようになります。

これはプラーナを介して自覚できるものです。

時には体調に何らかの症状に似た変化を感じることもありますが、その伝えてくれている情報を理解できれば症状は消えてしまいます。

プラーナを介して神仏は常に私たちに情報を与えてくださっています。
ただ、それを受け取る力が足りないのです。
霊性が向上していくと共にそれらがはっきりと自覚できるようになります。

 神仏と称して低霊性の輩が近寄ってくることもあります。(これが騙されやすいのです)
 師はそれを精査し、情報を読み取ることで時に必要な指導を弟子に与えます。

このように、霊性向上の道を説明するにあたって、神仏とそこに至る正しい信仰についてのお話を避けることはできません。

ご注意いただきたいのは、神仏と表現していますが、それぞれが信仰される対象だと考えていただいて結構です。
キリスト教でもヒンドゥー教でも、(お会いしたことはありませんが)イスラム教でも同じです。

人によっては“大自然”とか“宇宙の意識”などと読み替えてください。
大切なのはそれが「高次な存在」だということです。








宗教

霊性向上にあたって宗教は必要ありません。
ただし、正しい信仰は必要です。

宗教とは人による組織です。
つまり、依存と現世利益にもとずく人間組織は特に必要が無いのです。
宗教と一口で言っても、伝統宗教から新興宗教、「宗教ではありません」教といった宗教もあります。


「自分の力だけで生きている」「信じることができるのは眼に見えるものだけ」といった意味で「私は無宗教だ」と言う人もいます。
しかし、そういう人に限って「お金教」の信者だったり「オレオレ教」の教祖だったり自分に自信がなく、何かに頼っているということもよくある話です。

人間は弱い生き物です。依存してしまうのも仕方がないのかもしれません。
ですので否定はしませんが宗教は霊性向上においては必要ないのです。
もちろん「お金教」も「オレオレ教」も同じことです。

必要なのは“正しい信仰”です。


まともに運営されている宗教ももちろんあることは存じています。
しかし、ここでは便宜上、『物質的な幸福や世俗的な利益を餌に何かを勧めたり、依存させる組織』を宗教と定義します。

その事を踏まえてもう一度言います。
霊性向上に宗教は必要ないのです。








信仰

このような言葉があります。

我、神仏を尊び、神仏を頼らず。

たしか、宮本武蔵の言葉だったと思いますが信仰を端的に表現した言葉だと思います。

受験合格や商売繁盛、身体健全。神仏にみなさんいろんなお願いをされたこともあると思います。
正しい信仰をしるきっかけとして考えれば、現世利益も悪くは無いのかもしれませんが、それは信仰ではありません。

神仏は血肉や犠牲、ましてや金銭を求めることはありません。
完全に無償の愛を今この瞬間も私たちに注いでくださっています。

もし、お金をはらって祈祷してもらい神仏の力添えで商売が上手くいくならば、先祖供養をしたから何もかもが上手くいくのであれば、そこにあるのは“取引き”であり“使役の関係”です。
逆に言うと、信仰しなければ守ってもらえない(上手くいかない)のであれば、神仏にとって私たちは奴隷だということです。
私たちを奴隷にしたい神仏がいるとすれば、それは近づくべきではないエーテルやアストラルの下神・下仏です。

お願いすることが悪いことだとまでは言いません。
しかし、本当に神仏が望まれていることは私たちの成長なのです。
私たちは今この瞬間も神仏と通じているのです。

満天の星やきれいな花を見て私たちは心を動かされます。
これは古今東西、すべての人が同じように感じる心の動きです。
それはなぜでしょう?
私たちの中に星があり、花があるのです。
だから感動できるのです。
私たちもまた神さまの働きであり、一部であり、大自然の営みのひとつなのです。



霊性向上において宗教は必要ありませんが、正しい信仰は必要です。

自分より大きな存在を知らないから、人はおごり、そして比べようとして争います。
生かされていることを知らないから、自分を卑下したり、「〜でなければならない」と苦しむのです。
ほんの些細な違いを大きなものだと勘違いして怖がってしまうのです。。




    例えば、Y値の上限が10までしかないグラフ上では、2と8の差はと歴然です。
    それはてつもなく大きな差に見えるでしょう。
    でも、上限が10,000のグラフ上ならどうでしょうか?
    2と8の差などないも等しくはありませんか?
    そもそも2と8の差など認識できないかもしれません。
    確かなのはその上に、「目指すことのできる果てしない成長の世界が拡がっている」ということだけなのです。




         





    宮澤賢治の「生徒諸君に寄せる」という詩があります。
    そのなかに

      「宙宇は絶えず変化する 誰が誰よりどうだとか 
             誰の仕事がどうしたとか そんなことをゐっている暇があるか?」という一節があります。

    争いは同じレベルのもの同士でしかおこりません。
    大きな存在を知らないから、人は自分の正しさを疑うことなく、他者の正しさを知ることができないのです。




すべてを包み込む大きな存在があることを知ったときに初めて人は謙虚になれます。
自分のちっぽけさを知ることができたときに、ありのままの自分の尊さに気づくのです。
自分のちっぽけさをしることができたときに、ありのままの他者の尊さに気づくのです。
だから、許しあえるのです。
許すとはつまり愛することです。

大きな存在と私たちのすべてがつながっているということ。
私たち一人一人が完全な愛を与えられていること。
それを知ったときに、生きる喜びを感じることができるのです。


神道には随神(かんながら)という考えがあります。
常に私たちの命に神様が宿ってくださっているという意味です。


霊性を向上するということは、つまるところ自らの内にある神様を見出すということなのかもしれません。
プラーナは私たちの内なる神様が放つ光でもあるのです。

私たちの源である光の方向をしっかり見定め、それを意識したときにすべてを委ねることができます。
委ねることができるから、愛されていることを知っているから、そこに絶望などないのです。
そこに無意味なことや悪いことなど何もないのです。
だからこそ、精一杯生き切ることができるのです。

アストラルランクの上位までは個人の努力で達成できることもあるでしょう。
その意味で一般的な生活を送るだけなら特に神仏を意識する必要はありません。
しかし、メンタルランクに入り、神仏のプラーナを感じ、さらなる成長を望むのであれば、
その先は神仏のご加護やご指導がなければ到達することは不可能です。
霊性やプラーナを修正・指導して、自らや大切な人を、もしくは他人を救い導きたいのであれば神仏のご加護とそれをつなぎ教えを授けてくれる導師の存在が必要です。

そして、そのためには“正しい信仰”が不可欠なのです。


この世の中に悪いことなどなにもありません。


だからこそ、精一杯生きるのです。
すべてを感じきりながら生きるのです。
常に神仏の存在を感じ、愛されていることを、愛することができることを知るために自分を磨き、そして感謝すること。

これが霊性の向上に必要な“正しい信仰”なのです。

その人の霊性は信仰に対する意識にあらわれます。
そして、信仰に対する意識を如実にあらわすものがあります。
こちらも霊性の向上には避けては通れない事柄です。
その事柄について次項でご説明します。





霊性への道vol.6〜工事中







               



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